医師中村哲さんの足跡写真展

武器より命の水を!アフガニスタンの医療と農業復興に尽くした尽した中村哲さんの35年間の功績を写真と動画で振り返ります。

ダイヤランド在住の西村明男さんが有志と共に企画した写真展です。

日時:2020年11月14日(土)11:00〜20:00、15日(日)9:00〜17:00
場所:函南町文化センター多目的ホール

入場無料

西村明男さんからのメッセージ

中村哲医師の死を悼んで

昨年12月4日 アフガニスタンの医療・水利・農業復興につくされた中村哲さんが何者かの凶弾に撃たれて亡くなった。私は中村医師を支援するNGOペシャワール会に加入し、ささやかながらアフガンでの事業に賛同し、応援してきました。残念な気持ちを抑えられません。

「人は愛するに足る」

中村哲さんは1946年生まれ、九州大医学部卒で精神科医であったが、38才の時パキスタン・ペシャワールのミッション病院に乞われてその地でハンセン病の治療に従事することになる。その時から昨年末に亡くなられるまで36年間、アフガンの人々の命を守ることに懸命の努力をされた。

「真心は信じるに足る」

アフガニスタンは人口2400万人、ヒンズークシ山脈とイラン・パキスタンに囲まれ、部族社会を主とし旧ソ連の侵略(1979年)にも屈しなかったイスラム教を信じる誇り高い人たちの国。しかし度重なる自然災害(干ばつ,飢饉)と2001年9.11事件の震源地と見なされて国連制裁、アメリカ・イギリス軍の大規模空爆を受け、多数の死者・治安の悪化・国土の荒廃にさらされた。そのような状況の中で中村さんは現地語も覚え、誰彼の差別なく人に接し、わかりやすく目標を示し現地の人々と一体になって事業を進められた。

「まず、生きよ!」

中村医師の事業はアフガン東部での診療所設置・医療活動であったが、住環境の悪化による衛生状況の改善のため各地で井戸を掘る活動にとりかかった。PMS(ピースジャパンメディカルサービス)の井戸掘削は1600箇所におよび人々が生き残るために水の確保につとめた。(中村哲著「医者井戸を掘る」に詳しい)さらに干ばつが長期化したアフガン東部に用水路の建設を開始した。(同「アフガン緑の大地計画」参照)用水路は2009年に25km開通し、難民となっていた人たちが帰農して3000ヘクタールの荒地が緑の大地に復活した。

「アフガンの罪人と聖人」

中村医師の死を悼んでイギリスの有力紙(フィナンシャル・タイムス)がアフガン空爆・最大15万の軍と費用を投入したアメリカをアフガンの罪人と断じ、中村医師をアフガンの聖人と称えた。(2020.1.8日経新聞掲載)一人の日本人の行いが世界の人々を感動させ、世界各国で起こっている紛争の解決がどうあるべきかを考えさせる契機ともなったと思う。

「信じて生きる山の民」

アフガンの人たちが中村さんの成し遂げてきた事業に信頼を寄せ、こんごの展開にさらに期待していることを示す中村さんからの最後の報告が12月25日付けのペシャワール会号外に掲載された。またアフガニスタンのガニ大統領は自ら中村さんの棺を担ぎ、今後PMS事業がアフガン復興のカギになるとコメントした。中村さんのアフガンに残した遺産は大きいが、今後この事業を継続できるかどうか日本ペシャワール会、アフガンPMSの人たちがいま必死の努力を続けている。